メルセデスベンツ 190E
︎「W201型」という型式をもつ「190」シリーズの開発は1970年代初頭に始まる。きっかけとなるのは、アメリカ大統領ジミー・カーターのもとで導入された大気汚染防止に関する“クリーンエア法”が、アメリカ国内で販売される全てのメーカーの車両に適用されるのが決定された事。それまでのメルセデスベンツは、最大マーケットとなるアメリカで高級セグメントでしか販売を展開しておらず、燃費消費量が規定値を超える恐れがあることから、コンパクトで省燃費なモデルの開発が必要とされていた。追い討ちをかける様に第四次中東戦争をきっかけとして1973年には第一次石油危機により原油価格は4倍に急騰し、当時、大排気量エンジンを搭載する大型モデルが主流だったアメリカに於いても小型・省燃費車志向が高まりを見せ、日本車に人気が集中していた。そういう時代背景の中、責任者ハンス・シュレンベルクの元で開発が進められていた「W201型」は、小型であっても典型的なメルセデスベンツとして存在し、その品質、安全性、洗練性の点で新機軸のモデルとなる事を目標としていた。しかし1979年にデビューした上級モデル「W126型・Sクラス」がもつ快適性や耐久性、信頼性をコンパクトなボディに移植するのは容易なことでは無かった。ボディデザインは社内のイタリア人デザイナー、ブルーノ・サッコが担当し、Cd値0.33と高い空力性能を実現しながらも、洗練されたシンプルなフォルムの中に紛れもないメルセデスベンツのテイストを盛り込んだセダンのデザインが誕生した。「W201型」に用いられた新技術として注目されたのは、世界初おなるマルチリンク式リアサスペンションだった。この技術は、1960年代のロータリーエンジンを搭載したコンセプトモデル「C-111」の為に開発された技術で、スペースの限られるコンパクトなボディの中で、それまで採用されていたサスペンション技術に対して新しい段階へと大きな進化を見せるものとなった。このメルセデスベンツによる駆動力と接地感を高いレベルで両立したサスペンション・システムは、後に世界中の自動車メーカーがあらゆる車種や駆動方式に関わらず採用され大きく広がりを見せる技術となる。また空力に優れたボディは省燃費実現の為に軽量化にも配慮され、使用量40kgにも及ぶ高張力鋼板などの新素材の採用により「W123型」のボディシェルに比べ、160kgの軽量化にも成功している。その上で上級モデルの「Sクラス」と同等の高い衝突安全性をもつボディとすることも目標に含まれていた。安全にこだわるメルセデスベンツは、斜め前方向の衝突が最も多くの重大事故へとつながる事から「W201型」では開発を進める中でシミュレーション・テストを反復し様々な検証を行いながら、ボディが衝突エネルギーを吸収しキャビンの変形を最小限に留めるボディ構造とすることに辿り着いた。現代では常識となるABSやエアバックによる安全対策が施されているのは勿論、新開発によるシングルブレードによるワイパーはアーム自体が伸縮するダブルリンクとすることでウィンドスクリーンの86%を払拭することが出来、悪天候下でも広い視界を得られるものとして安全性に配慮されたものとなる。他のモデルにも採用される深い凹凸をもつテールランプは、汚れが全面に付着しない様に工夫が施される等、メルセデスベンツによる安全に対する哲学は「W201型」のボディの隅々にまで及んでいる。1982年12月8日に「W201型」は、車名を「メルセデスベンツ190」とし正式発表される。車名に用いられる「190」とは、搭載するエンジンの排気量を示し、本来なら1995ccの排気量をもつエンジンが搭載されていることから「200」としたかったところだが、W123型に既に「200」が存在したことから「190」とされた。発表当初、搭載されるエンジンは2ℓ・4気筒SOHCエンジンのみとなり、キャブレター仕様の「190」と、燃料噴射装置を装備した「190E」の二本立てでジンデルフィンゲン工場で生産が始まった。後に小型商用車を組み立てていたブレーメン工場が「190」シリーズの専用工場として稼働を始め、このモデルのメルセデスベンツによる開発費と生産設備投資額は、20億ドイツマルク(当時の金額で約2000億円に相当)にも達した。メルセデスベンツは1982年度に約45万台生産された乗用車生産台数を、数年以内に50万台以上に増やす計画をもち、その増加分は「190」シリーズが担う事を想定していた。それを実現する為に1983年には4気筒ディーゼルエンジンの「190D」と、1984年にはコスワース製DOHCヘッドをもつエンジンを搭載したスポーツモデル「190E2.3-16」を発表。1985年には5気筒ディーゼルエンジンの「190D2.5」を、同年9月には直列6気筒エンジン搭載の「190E2.6」を発表し、1987年9月に「190D2.5ターボ」を加えて広いバリエーションモデルを展開することとなる。1988年9月のパリサロンでは、ボディのスタイリングとインテリアの手直しが行われ、この時からボディ下部パネルとサイドスカートを一体化した「サッコ・プレート」とよばれるプロテクション・サイドスリップが採用された。これはデザイナーのブルーノ・サッコの名前にちなんだものでメルセデスベンツの他のグレードにも波及する事となる。「190」の発表当時メルセデスベンツは、現在とは全く異なり上級クラスの「Sクラス」と「コンパクトクラス・W123型」の乗用車2車種のラインナップに加えスポーツモデル「SL・R107型」とオフロードモデル「ゲレンデヴァーゲン・W460型」しか存在しなかった。そこに「新たなコンパクトクラス」として加わった「190」シリーズは、1993年8月まで生産が続けられ、180万台を超える台数が世に送り出された。最大マーケットとなる北米では、メルセデスベンツ史上最大のヒット作となり、バブル経済期へと向かう日本においても、安全性への本物志向が高まりを見せ始めた時代背景も加わり多くの台数が販売された。「W201型・190」は、それまで続いてきたメルセデスベンツの思想を余す所なく凝縮した形でコンパクトなボディに満載し、新たな時代への一歩を踏み出す重要なポジションに置かれた革新の一台となっている。︎今回入荷した1991年型「190E」は、1988年9月にマイナーチェンジが行われた後の最終型とよべるモデルとなる。当時の日本市場ではモデル末期を迎えていても「190E」の人気は全く衰える事なく、それは発表以来の少なからざる改良により完成の域に到達したモデルとなっていた事にもよる。サイズは小型(5ナンバーサイズ)でも、メルセデスベンツらしいオーソドックスなスタイルは、加飾が廃されたスタンダードといえるものでユーザー層の広がりを見せた。コンパクトなボディにスペース効率の高いキャビンや、驚くほどの小さい回転半径を実現することで日常使う事が想定される日本の様々な道でもとても扱いやすいものとなっている。発売当初は、燃料経済性を最優先に考慮されていたことで、前面投影面積を事実上ミニマムとするため、細いタイヤと高いギア比により、高速走行時の直進性や発進時のモタつきに影響が感じられた部分も存在した。しかし生産され続ける中で、これらの僅かなウィークポイントは「サッコ・プレート」の採用やエンジンのトルク特性の見直し、装着タイヤのサイズアップ等により改善、改良が図られ、より扱いやすいモデルへと進化をみせた。今回入荷したモデルは左ハンドル仕様となるため、ATのチェンジレバーはドライバー側にポジションの表示がレイアウトされることでより扱いやすく、またボンネットリリースレバーは左側に限定で設計されていることから、これも使いやすいものとなっている。メルセデスベンツが初めて取り組んだコンパクトなボディの開発・生産は、この「190E」の高い完成度をもってここから次の世代へと広がりを見せる事となる。今回入荷した1991年型「190E」が搭載するM102型とよばれるエンジンは水冷直列4気筒SOHCで、ボア×ストローク89.0mm×80.2mmから1995ccの排気量を得る。チェーンで駆動されるこのエンジンは、鋳鉄製のブロックとアルミ合金製のヘッドで構成され半球型燃焼室をもつクロスフローエンジンとなる。ボッシュ製KEジェトロニック燃料噴射装置を装備し、ヨーロッパ仕様と同じ9.1の圧縮比をもち、DIN表記で最高出力115馬力/5500rpmと最大トルク17.5kgm/3500rpmを発揮する。組み合わされるトランスミッションは、ダイムラーベンツ製4速トルコン式ATの W4A020型となる。このトルコン式ATは「W201型」に搭載するにあたりW123型に用いられるものに比べ、使用される部品にプレス製品を用いることで8kgの軽量化が図られている。他のメルセデスベンツと同様に、エンジンパワーの伝達効率が高く、スリップ感の少ないマニュアルミッションの様なダイレクトな味付けとなっている。︎足回りは、前後共にスタビライザーを装備し、フロントはメルセデスベンツとしては初めての採用となるマクファーソン・ストラット式となり、大きなキャスター角を持つのが特徴となっている。リアは「190」シリーズの為に新開発されたマルチリンク式を採用、ここに辿り着く迄に8種の異なるシステムとそこから70種にも及ぶ変型バリエーションが設計され、その3割を実地テストまで行い検証された。このマルチリンク式サスペンションでは、ひとつのホイールを5本のリンクにより支えながらタイヤの位置決めがされている。このマルチリンク式サスペンションは、型式的にはダブルウィッシュボーン式+ラテラル・ロッドに近い構造となるが、各リンクのピポット軸が平行ではなく同一面に無いところが異なる。快適な乗り心地に必要なコンプライアンスを保持しながら、操縦性に悪影響を及ぼす動きを制御する為に最低限5本のリンクが必要とされ、5本のリンクのレイアウトと採用されるブッシュの的確な弾性形状によりトー変化を事実上ゼロに出来るのが特徴となっている。路面の不整は理想的なサスペンションの動きで取り除かれ、常にタイヤはベストな状態で路面に接地することにより乗員の疲れを最小限に留めるメルセデスライドを産み出している。ブレーキは、フロントに273mm径、リアは279mm径のソリッドディスクを装備する4輪ディスクブレーキが採用されABSを装備する。ホイールは4輪ともに6J×15インチサイズのアルミホイールを装備し、185/65HR15サイズのタイヤと組み合わされている。︎インテリアは、見慣れた水平基調のダッシュボードに、大径のステアリングホイールが装備されている。「W123型」と互角の室内空間をコンパクトなサイズのボディの中に実現している。スイッチ類を始めとして見るもの触れるものの何もかもが、当時の大型メルセデスと同じデザイン、クオリティで再現されているのが特徴となる。メータークラスター内にはスピード、タコ、コンビの必要最低限の3つのVDO製のメーター類が収まる。ステアリングコラム左側に位置するウィンカーレバーにはヘッドライト切り替えやワイパースイッチの機能も備わる。光軸調整機能をもつヘッドライトのスイッチは、ドイツ車らしくダッシュボードのドア側の下方にダイヤル式スイッチが置かれ、フォグライトを作動させられる機能をもつ。キャビンの空調システムは、メルセデスベンツの伝統が活かされ左右シート方向に独立した温度コントロールが可能となっている。たっぷりとしたサイズの硬めのシートは、それまでのメルセデスベンツの伝統となる、ヤシの繊維とS字型バネを使った構造をもち快適性と姿勢保持を実現する設計となる。リアのシートスペースは、フロントに比べると必要最小限とされているが、ボディの大きさを考慮すれば充分なサイズとなっている。サイドブレーキは足踏み式を採用していたメルセデスベンツだが「190」シリーズではレッグスペース確保の為に、センターコンソールにオーソドックスなレバー式が用いられている。そのかわりドライバーの足元には、左足を休める大型のフットレストが確保されている。シフトレバーは、慣れると使いやすいメルセデスベンツ伝統のスタッガードゲート式を採用、セーフティロック機構は付かない。「W123型」に比べボディ全幅は10cm以上狭められているにも関わらず、同等のキャビンスペースを感じさせるのは、メルセデスベンツの技術と細かい配慮に積み重ねによるものとなっている。︎1984年に発表されたコスワースによるツインカム・ヘッドをもつエンジンが搭載された「190E2.3-16」は、エアロパーツを装備した当時のメルセデスベンツとしては、異質ともいえるスポーツモデルとなる。軽量・高剛性で高い空力特性をもつボディに、機能性の高い新設計のマルチリンク・サスペンションシステムを備える「190」があったからこそのモデルであり、シリーズのイメージを高めるモデルでもある。当初この「190E2.3-16」で、メルセデスベンツはWRC(世界ラリー選手権)出場を目指したが「アウディ・クワトロ」の登場によりDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)へと目標を切り替えた。メルセデスベンツのモータースポーツへの本格的な参戦は「メルセデスベンツ300SLR」の接触事故により多くの観客を巻き込んだ1955年の「ル・マン24時間耐久レース」の大事故以来の事となった。デビュー前にこの「190E2.3-16」の性能をアピールする為、南イタリアにあるナルド・サーキットで3つの速度世界記録と、12の国際記録を樹立するデモンストレーションが行われる。真夏の昼間は40°Cを超える外気温の中、9日間で5万キロの距離を201時間40分以内に走破し、平均速度247.939km/hを記録、連続して6000rpmのフルスロットルで走り、高い耐久性と車両がもつ高い高速安定性を見せつけた。DTMに参戦したメルセデスベンツは、初めて懸けられたマニュファクチャラーズ・タイトルを1991年「190E2.3-16」をベースにしたエボリューション・モデル「190E2.5-16エボリューションⅡ」で獲得している。翌年1992年にはマニファクチャラーズ・ドライバーズの2冠獲得を達成し、その性能の高さを証明している。全長×全幅×全高は、4450mm×1690mm×1375mm、ホイールベース2660mm、トレッド前1430mm、後1415mm、車両重量1230kgとなる。最小回転半径は5.0m、燃料タンク容量は55ℓ、新車時価格は標準モデルが466万円となり、アルミホイールやサッコプレートなどの装備を簡素化したモデル「190Eアンファング」は、395万円(1991年6月)となっている。メーカー公表性能値は、122馬力/18.2kgmを発揮するヨーロッパ仕様で、0→100km/h加速11.0秒、0→1km加速32.5秒、最高速度190km/hとなる。「190E」正規輸入モデルのカーグラフィック誌による実測テストでは0→100km/h加速11.9秒、0→400m加速18.2秒、0→1km加速33.4秒、最高速度188.8km/hを記録している(1991年7月号)。︎それまでコンパクトクラスとよばれていた「W123型」よりひとまわり以上小さな「190E」ではあるが、メルセデスベンツのアイデンティティを見事に小型ボディに落とし込んだ佇まいは、イメージ通りのメルセデスベンツ製セダンのデザインとなっている。しっかりと握りやすい形状のドアハンドルに手をかけガッチリとしたドアを開けると、インテリアもこの時代を代表するメルセデスベンツのスタイルが貫かれたものとなる。硬めのシートに腰を下ろすとフラットなクッションと目の前の大きめなステアリングからは、上級な「Sクラス」と変わらない雰囲気が感じられる。エンジンを始動すると低めのサウンドが響く。ジグザグゲートをもつギアセレクターで「D」レンジを選んでゆっくりとアクセルを踏み込んでみると、ソロリと滑らかに2速を使って動き出し、低速域での乗り心地は少し硬めに感じられるがスピードが増すにつれてフラットに変化する。しばらく走らせてみると小さく軽めのボディでありながら大きなモデルより良好な、重厚で快適な乗り心地が感じられる。この乗り心地は市街地や国道、高速をとわず良好でノイズレベルも低めに抑えられ、このモデルの為に開発されたこだわりのサスペンションの性能が発揮されているのがわかる。トルコン式ATでありながらトルクコンバーターの介在を感じさせないトランスミッションにより、まるでマニュアルミッションを搭載する車両の様に、スロットルの動きだけで車速のコントロールを容易に楽しむことが出来る。トルコンの介在が少ない分シフトショックは感じられるが、充分にコストがかけられたパワートレインは、ギアボックス内部のギアの精度の高さや剛性感を感じさせ粗雑な感覚を伝えてくる事はない。太めのピラー類に囲まれながらも四方には良好な視界が得られ、ふくよかな丸みを帯びたボンネット越しに見えるノーズ先端のスリーポイントのマスコットが誇らしく思える。中低速域では重めに感じられたステアリングは路地を曲がる時に僅かに復元力に欠けるが、切り始めから正確で剛性感にあふれるメルセデスベンツらしいフィールに味付けされている。このステアリングもワインディングロードで少しペースを上げていくと軽く回せる様になり、ステアリングの大きさを気にする事無く、ニュートラルなマナーをもった緻密なコーナリングが楽しめる。市街地の重厚な乗り心地と、ワインディングでのスポーティな振舞いを両立する足回りは、ストロークがたっぷり取られしなやかで強力なダンパーによる高いロードホールディング性能を誇る。どんな場面に於いてもブレーキは安定した制動力を発揮し、ノーズダイブやテールスクォットは軽く、姿勢を乱す事なく高い耐フェード性を見せてくれる。メルセデスベンツ製でありながら、そのコンパクトさや、軽めのボディによりドライブする楽しさが感じられるものとなっているのは、それまでのメルセデスベンツと少し異なるところかもしれない。フラットで重厚な乗り心地をもちストローク感が希薄な現代のプレミアムクラスに比べると「190E」は、よりソリッドな自然な感覚をドライバーに伝えてくる。このモデルはメルセデスベンツとしては革新的なモデルとなり、ユーザー層の裾を広げるだけに留まらず、新たな技術とそれまで続いてきた様々なメルセデスベンツの哲学がコンパクトなボディに凝縮された詰め込まれたモデルでもある。メルセデスベンツらしい乗り心地と高い安定志向による操縦性はドライバーの体力を温存しながら、過剰ともいえる品質と比類なき耐久性を実現したモデルでもある。消耗部品は交換すれば機能は回復し、またそこから走行することが可能となるが、その基本となるモノコックボディは交換することは出来ない。この重要性を改めて感じさせ実証しているモデルがこの「190E」だと言えるだろう。必要な機能がとても高い精度で高品質な素材により丁寧に組み上げられていたのが、この時代のメルセデスベンツとなる。そのエッセンスが最もコンパクトなボディの中に凝縮されたモデルが「メルセデスベンツ190E」となっている。





















