メルセデスベンツ 280 SL
品川二桁ナンバー
クーラー、ETC、GPSレーダーが装備されております。
メルセデスベンツの「SL」とは「Sport(スポーツ)」と「Leicht(軽量)」のイニシアルで「軽量なスポーツカー」を意味するが、社内では「Super Leicht(超軽量)」ともよばれていた。レーシングカーの血統をもって開発されたW198型「300SL」は、特徴的な「ガルウィング・ドア」をもつクーペが1295kg、ロードスターが1235kgであった。レーシングモデルとして登場した1952年型のW194型「プロトタイプ300SL」は、870kgの車重で成り立ち、同じ鋼管スペースフレーム構造ボディに3ℓ・直6エンジンを搭載し、4.5m×1.8mサイズのボディを考慮すれば、確かに軽量に造られたモデルだった。1954年に6820ドルという価格でW198型「300SL」の販売が始まると100台を超えるフェラーリがまだ存在しなかったこの時代に、予想を上回る1400台が販売された。この販売価格はドイツでは2万9000マルクとなるが、装備が充実しはじめた1960年には3万4000マルクに値上がりする。この同じ年の高級車「ベンツ300」は2万8500マルク、「220」は1万1500マルクとなり、大衆車「VWビートル」は4600マルク、高級スポーツカー「ポルシェ356B」は3万2950マルクとなっていた。「300SL」の軽量ボディの主軸は、複雑極まりない鋼管スペースフレーム構造となる。そして技術の中心となるもうひとつのポイントは、燃料噴射装置の採用で、この2つの技術はともに航空機技術から引用されたものとなっている。ダイムラーベンツの技術部長だったフリッツ・ナリンガーはじめ、実験部門長のルドルフ・ウーレンハウトが中心となって開発された「300SL」は、1951年のル・マンで優勝した「ジャガーCタイプ」と同じ様な道筋で構想され、発表されたばかりの「ベンツ300(W186型)」のコンポーネンツを元に、開発が進められたモデルとなっている。ダイムラーベンツの技術陣は「ジャガーCタイプ」の様に太いサイドメンバーを中心に組み上げるのでは無く、小径の鋼管をトラス構造で組み、マッチ細工の様に細かく溶接してフレームを完成させた。“フレームは捩れず、サスペンションはストローク方向以外に、不用なモーメントを与えてはいけない”というウーレンハウトの発案により、戦前のF1「W154」と同等の剛性を実現していた。コックピット周りも剛性確保の為にパイプで覆われる事により、特徴的な「ガルウィング・ドア」が採用される。一方の燃料噴射装置は、1937年にダイムラーベンツがボッシュと共同開発を行った33.8ℓ・V12気筒航空機エンジン「DB601」が発端となる。ここからのフィードバックにより、自動車用4ストローク・ガソリンエンジンとして初めて燃料噴射装置が採用されたのが「300SL」が搭載する「M198」型3ℓ・直6SOHCエンジンとなっている。このエンジンをフロントに左へ45°傾けて搭載する「300SL」は、ウーレンハウト自身の完全主義を貫いたクオリティで完成され、そのボディを構成するひとつひとつの部品が呆れる程のクオリティを感じさせる作りとなっている。外観から受けるラクシュリーなイメージとは裏腹に、走らせれば「M198」型エンジンを中心にレーシーな印象を強く残す1台となる。その性能を誇示する様に、GTカテゴリーでフェラーリやアルファロメオと多くのレースやラリーで競り合いの場面を演じた。1955年のミッレミリアではレーシングモデルの「300SLR」を駆るスターリング・モス/デニス・ジェンキンソン組が新記録を樹立して優勝した事に目を奪われがちだが「300SL」で参戦したジョン・フィッチは総合5位・GTクラス優勝、他にも7位、10位は「300SL」が獲得した。続く「リエージュ・ローマ・リエージュ・ラリー」ではオランダ人のオリビエ・ジャンドビアンが優勝、この年のヨーロッパ・ツーリングカー選手権はヴァーナー・エンゲルが「300SL」で制覇した。アメリカでも活躍した「300SL」は、1955年、56年にプロダクションDクラスでポール・オシェイが、1957年にはCクラスでハリー・カーターが王者になっている。この「300SL」のイメージを使って1953年秋に発表された「180(W120型)」サルーンをベースに、量産スポーツ・モデルとしてチーフエンジニアのフリッツ・ナリンガーにより開発されたのが「190SL(W121型)」となる。フロア、足回り、全て「180」サルーンのものが活かされ「190SL」用に手が加えられている。フロントグリル周りや前後フェンダー形状に「300SL」のイメージを反映させた「190SL」のエクステリアデザインは、社内デザインスタジオのカール・ウィルフェルドを中心に作り上げられた。搭載される4気筒エンジンは「180」サルーン用のOHVサイドバルブ式からSOHC化され、排気量と圧縮比アップが図られた上に、ツインキャブレターを装備。ベースエンジンの倍近い105馬力を発揮し、1160kgのオープン・ボディを180km/hの最高速度まで引っ張った。当時の、OHVエンジンを搭載した英国製オープン・スポーツカー「トライアンフTR3」や「オースティン・ヒーレー100」に比べ、充分なアドバンテージをもつ動力性能を発揮し「300SL」の約半分の価格で販売された。ウーレンハウトのこだわりの品質で作り上げられたスーパースポーツの「300SL」に対し、「190SL」は今につながるメルセデスベンツならではの製造クオリティをもって生産された。同世代の「ポルシェ356」にも劣らないクオリティを感じさせるオープンボディをもち、6年間で約2.5万台が生産される人気モデルとなった。「190SL」の後継車として1963年、春のジュネーブショーでデビューしたのが「230SL(W113型)」である。メルセデスベンツは「230SL」を「300SLと190SL、両車の魅力を兼ね備えたモデル」と発表時にコメントし、「300SL」よりはるかに多くの台数が販売された「190SL」が開拓した、新たな顧客層に向けたモデルとして発表された。その発言の裏側には1955年の「ル・マンの大惨事」といわれた「300SLR」の事故により、ワークス・レーシング活動を中止するとともに安全対策を重視する方向へシフトしたメルセデスベンツの思惑も汲み取る事が出来る。「230SL」は、高性能サルーン「220(W110型)」のシャーシ及びコンポーネンツをベースに開発されたモデルとなっている。M127型とよばれる170馬力を発揮する2.3ℓSOHC・6気筒エンジンを搭載し、サルーンより大幅に短くされたホイールベースを活かして高い動力性能を発揮する。セミモノコック構造となるボディは、オープン化に伴い入念に補強が施され「SL」の車名に相応しくドア、ボンネット、トランクリッドはアルミ製とされ、軽量化にも配慮されたボディをもつ。当時のメルセデス・サルーンの特徴である縦目のヘッドライトと、初代「300SL」のフロントグリル・デザインを継承しながらも、端正なスタイリングを携えハードトップやボディと共色のホイールキャップを採用するなど、ビジュアル的な配慮も施された「最も美しいメルセデス」ともいわるモデルとなる。50年代的な丸みを帯びたデザインの「300SL/190SL」に対して、60年代的にクリーンなラインで構成される「230SL」のボディデザインは、1957年メルセデスベンツのデザイン部門のチーフデザイナーに抜擢されたフランス人デザイナー、ポール・ブラックによるもの。中央が凹んだ独特なデザインをもつハードトップ「パゴダルーフ」を備える事も大きな特徴。その語源はミャンマーの仏塔(ストゥーパ)を指す「パゴダ」から来ている。アジア全域で見られる建築用語の「大きな庇の両端に行くに従い、反り返った形状の屋根」を表す言葉となっている。「パゴダルーフ」はメルセデスベンツで衝撃吸収ボディ構造の開発をしていた、ベラ・バレニーにより生み出されたものとされ、左右のサイドウィンドウの拡大と、ルーフの強度を上げられる形状となっている。バレニーは在籍中に2500件にものぼる特許を取得し、メルセデスベンツの安全に対する屋台骨を構築するとともに、衝突安全の分野で大きく寄与した人物。「230SL」はメルセデスベンツのラインナップの中で、衝突安全ボディを最初に導入したモデルでもあった。それまでの「SL」同様、高い運動性能を誇る「230SL」の開発は「300SLR」や「300SL」を手がけたグランプリカーのエンジニアである技術開発重役のルドルフ・ウーレンハウトによるもの。ウーレンハウトは、ミシュランが先陣をきっていたラジアルタイヤ「ミシュランX」が、200km/h付近で欠点を見せる事からコンチネンタルタイヤとファイアストーンに対し高性能タイヤ開発を依頼する。結果的に要件を満たすタイヤが開発されたことで「230SL」は、メルセデス市販モデルとして初めてラジアルタイヤが標準装備されたモデルとなる。「230SL」は高性能ラジアルタイヤと、フェンダーアーチいっぱいまで張り出した広いトレッドにより、高水準なシャーシ性能に仕上がり、1963年8月、オイゲン・ベイリンガーとクラウス・カイザーにより約5500kmを走破する「スパ ソフィア リエージュ」長距離ラリーで優勝。1963年〜65年のインターナショナル・ラリーチャンピオンシップでも活躍し数多くの成績を残すことで、その侮れないハイパフォーマンスを実証する。1967年に、それまでの4つから7つにクランクシャフトのメインベアリングを増やしたM129型とよばれる新設計エンジンを搭載する「250SL」に進化する。同時に燃料タンクは65ℓから82ℓに拡大、リア・ブレーキはディスクブレーキに格上げされたことにより4輪ディスクブレーキを装備。約200ccのエンジン拡大による数値上の性能アップではなく、低速トルクのアドバンテージを活かしたドライバビリティの向上は、主に北米市場からのリクエストによるものとなっている。「250SL」は、1年たらずで「280SL」に進化し、このモデルがW113型「SL」シリーズの後期を受け持ち、全てのモデルの中で最も販売台数を伸ばす事となる。今回入荷したW113型「280SL」が、搭載するエンジンは、M130型と呼ばれる水冷直列6気筒SOHCとなり、ボア×ストローク86.5mm×78.8mmを持ち、2778ccの排気量を得る。9.5の圧縮比から170馬力/5750rpmと24.5kgm/4250rpmのトルクを発揮するこのエンジンは、ボッシュ製機械式燃料噴射装置を備え、生産モデルとして初めて燃料噴射装置を装備した「300SL」の流れを汲み6気筒ならではの滑らかな回転感をもつエンジンとなっている。比較的高い回転数で、最大トルクを発揮するエンジンにも関わらず、低回転域でも充実したトルクを発揮するエンジンで低速での市街地走行も難なくこなす。組み合わされるトランスミッションは、W113型「230SL」登場時には4速MTか5速MTの設定であったが「250SL」に進化した際、4速ATも選択可能となった。多くの欧州自動車メーカーが、ZFやボルグワーナーなど、変速機メーカー製のATに頼っていたのに対し、メルセデスベンツは、あくまでも自社製にこだわった。当時としては、4速ATであることだけでも珍しい上に、トルコンの代わりに構造的に単純となるフルードカップリングを採用し、可能な限りシフトチェンジ時のスリップを抑える仕組みが採用された。この結果、シフトショックは感じられるが、ダイレクトな加速感はマニュアルトランスミッションに劣らない。しかも近年のシングルクラッチ式2ペダルM/Tの様に、変速時に僅かにスロットルペダルを緩めるなど運転の仕方により、シフトショックを軽減することも可能となっている。また、現在のメルセデスベンツ各車につながる、クランク状のシフトゲートをもち、ロック機構の備わらないATセレクターレバーは、多くのクルマとは逆向きに、手前から前方に向かって「P・R・N・4・3・2」と配置されている為、慣れるまでは慎重な扱いが求められるものとなる。W113型「SL」は、シリーズを通して77%が4ATモデルといわれ「280SL」ではその比率を更に高めている。4.08まで低められたファイナルと組み合わされる事で「SL」の名に相応しいレスポンスと軽快な加速性能をセールスポイントとしている。︎ 足回りは、前ダブルウィッシュボーン式+コイル+スタビライザー、後スウィングアクスル(コンペンセーター・スプリング付きローピボット・シングルジョイント)+コイルによる4輪独立懸架となる。ブレーキは4輪ディスクブレーキを備える。近代的な足回りと後継車となるR107型「SL」と比べても、より広いトレッドをもつのが特徴で、ホイールリムとパゴダ・ルーフと同色に塗られたセンターキャップ部分が一体式となる、美しいホイールキャップが装備される。当時としては太目となる185HR14サイズのタイヤを装備することでスポーティに走らせる事が可能となっている。インテリアは、クロームメッキを随所に散りばめたクラシカルなデザインが特徴となる。メーターリングをはじめとし、空調まわり、ステアリング上のホーンリング、シフトまわりのクローム装飾はボディカラーを用いたインパネにとても良いアクセントを与えている。その上、ダッシュボード前方やセンターコンソールに用いられるウッド素材は、機能的なインテリアに潤いを加えるアクセントとなる。パワーアシストの付いた、握りの細目なオフホワイトの大径ステアリングの奥には、7000rpmまで刻まれたレブカウンターを左側に、140mph迄のスピードメーターが右側に配置され、その間に、燃料、油圧、水温の3種のメーターと各種インジケーターがレイアウトされる。ダッシュボード中央の1DIN型ステレオを挟んでその右にはアナログ時計が配される。この時計を含むメーター類は全て、視認性に優れるVDO製となっている。ロック機構を持たないATのセレクターレバーは、MTの様にシンプルなアルミ製の丸型で手に馴染む大きさのノブが付く。ヘッドレストが別体となるレザー張りのシートはたっぷりとしたクッションを備え、ゆったりと身体をホールドしてくれる。スカットルやショルダーラインは低く、傾斜の緩いウィンドスクリーンと細いピラーにより、ハードトップ装着時でもガラスエリアの大きくとられたパゴダルーフの構造により乗降性は良好な上、室内は明るく保たれ、全方向の視界はすこぶる開けたものに感じられる。労力は必要となるが、脱着可能なパゴダルーフを外せば、オープンモデルとしての開放感の高いオープンエアモータリングを堪能出来、いざという時の為のソフトトップも装備される。ソフトトップの耐候性は高く100km/hを超える速度でもバタつく気配は無い。風切り音やノイズの侵入を気にしなければクローズド・ボディと遜色無い居住性が確保されている。ソフトトップの開閉は容易で、専用工具でフロント2ヶ所のフックをはずし、ドライバー側の後席サイドにあるレバーで収納部のハッチを開けて畳み込み、ハッチを閉じればスッキリと収まってしまう。︎ 全長×全幅×全高は4285mm×1760mm×1305mm、ホイールベースは2400mm、トレッド前1486mm、後1487mm、車両重量は1400kgとなっている。燃料タンク容量は82ℓで、最小回転半径は5.7m、日本における新車時ディーラー価格は480万円(1968年)となる。W113型「280SL」は、1967年11月〜1971年3月迄の間に23885台が生産され、シリーズの中で最も多く生産されたモデルとなるが、今回入荷した車両は、たいへん貴重な最終モデルとなり、品川二桁ナンバーが付いている。︎メーカー公表性能値は0→100km/h加速9.3秒、最高速度195km/hとなり、初期モデル「230SL」の最高速度200km/h(0→100km/h加速は11秒)に比べ、あまり変化が無いのは低められたファイナルギアが採用されたことによるもの。︎今回入荷した車両は「最も美しいメルセデス」と表現するのに相応しく、ブルー系の2トーンで美しくコーディネートされたエクステリアをもっている。ネイビーのレザーで組み合わされるインテリアは、アイボリーのステアリングと、アクセントに使われるメッキ類が引き立ち、クラシカルなムードを漂わせエクステリアとの見事なコンビネーションを見せる。ボディ側に窪みを持たないシンプルなドアハンドルに手をかけて、ドアを開けシートに腰を下ろすと、大径のステアリングを抱え込む様に、比較的上体を起こしたドライビングポジションをとらされるところに時代を感じさせる。ダッシュボードに位置するメインキーを捻りエンジンをスタートさせて、4レンジ(通常のATモデルのDレンジ)をセレクトして走り出す。2速発進となるが、加速はまずまずといったところで、変速ショックも通常のアクセルの踏み込み具合ならほとんど気にならない。タウンスピードで流して走る場合には、エンジンサウンドもそれ程高まらず快適な空間が保たれる。オープンボディであっても、メルセデスベンツ製らしくその剛性は高く不快な振動は感じられない。本格的にアクセルを踏み込むと、エンジンサウンドとメカニカルノイズが高まり、加速感はパワフルさを感じられるものとなる。減速時にもシフトダウンをするATは、MT車のようなダイレクトなドライビングが味わえる。低速時には硬さが感じられる足回りも、スピードメーターの針の上昇に比例して、しなやかさをおびてくる。また4輪ディスクとされたブレーキは、高速域での制動性能に不安は無く、安心して踏み込む事が出来るのもメルセデスベンツらしいところとなる。やはり、この時代にあってもドイツ製スポーツモデルである以上、アウトバーンで鍛えられた動力性能は、求める世界が決定的に異なることを確認させてくれる。タテ目のヘッドランプを持つボディや、ホーン・リングが残る大径ステアリングなどから受けるイメージよりも、ずっと近代的な操縦性や安定性が味わえる。それでも必要以上にスピードを上げる事なく、クルマの動きを考えながら丁寧なステアリングワークを心掛けると、このクルマのイメージ通りエレガントな走りを味わうことも可能となる。高い性能を発揮するそれぞれのエレメントが、スピードを抑える事で安心感や信頼性を見せ、そこに走らせる楽しさを見いだす事も出来る。もちろん、そんな優雅な走りだけに留まらず2速、3速にギアをホールドしておけば、ワインディングロードにおいても、厚いトルクを活かして積極的に走りを堪能する事も可能となっている。良い時代に設計されたW113型「280SL」は、時代のアイコンであったW198型「300SL」の面影を何処かに漂わせつつ、その流れを汲む血統を感じさせる「Sport Leicht」を名乗れる1台となっている。