フィアットチンクエチェント
500 L
メーター表示 31.400km、5速ミッション、社外タコメーター、油温計、ETCが装備されております。
︎限られた車体寸法の中に、最大限のキャビンスペースを得なければならない小型大衆車にとって、エンジンは小さければ小さい方が良い。大衆車が普及し始めたばかりの頃には、クルマを所有することが目標であったから、多少キャビンが狭くても不満は表出しなかった。しかし普及が進めば多くの人々は、より広く快適なキャビンを持つクルマを求めるようになる。そうした顧客の要求に応えるべく小型車の設計者は、エンジンや駆動系統の配置に工夫を凝らしキャビンを確保するレイアウトを追い求めてきた。その代表的な成功例が、1959年にアレック・イシゴニスが設計した「ミニ(ADO15)」で採用された、横置きエンジンによるFFレイアウトとなる。それ以前にもFFを採用した例は存在するが「ミニ」ほど理詰めでスペース効率を求めてはいなかった。全長約3mのボディに最大限のキャビンを実現する為に、横置きされたエンジンの下部にギアボックスを配置するコンパクトな駆動方式は、イシゴニス方式と呼ばれる様になった。これに対してイタリアの大衆車メーカー、フィアットは1964年に傘下のアウトビアンキの「プリムラ」で、エンジンとギアボックスを一直線に横置き配置したFFを開発する。更に1969年には同じレイアウトと駆動方式により「フィアット128」を発表すると、このFFレイアウトが様々な自動車メーカーにも採用され、世界中に広まる事となる。このエンジンとギアボックスを横置きで一直線にレイアウトする方式は、考案したフィアットの設計者であるダンテ・ジアコーサの名前から、ジアコーサ方式と呼ばれている。設計者ダンテ・ジアコーサは、1905年1月3日に父の勤務先であるローマ生まれ、生後程なくして一家は元々住んでいたイタリア北部ピエモンテ州の小さな町、ネイヴに移り住む。その後、近隣の都市アルバへ転居すると、ジアコーサはこの地の高等学校を卒業し、トリノ工科大学の機械工学科に進む。幼い頃から自動車に興味を抱いていたジアコーサだったが、経済不況という時代背景もあり、就職活動に苦労しながら1928年11月、フィアット傘下の軍用車両事業部に製図工として採用される。ここでフィアットのベテラン技術者で研究部長であるチェザーレ・モモに才能が認められたジアコーサは、モモの秘書として働きながら自動車の歴史や、過去の設計者の逸話を学ぶ事となる。1876年生まれのモモは、イタリアの自動車発祥の地であるトリノの自動車産業に携わる人々と多くの親交があり、ジアコーサに彼らの人間像を聞かせながら高い教養と知識を与える。フィアットのエンジニアリング部門を統括するトランキッロ・ツェルビは、1930年にジアコーサを自動車エンジン部門に招き、1932年6月には航空機エンジン部門へと配属、同年11月にはその製図部長に任命する。1933年、28歳になったジアコーサは、航空機エンジン部門の上司であるアントニオ・フェッシア(後にランチアでブラビアやフルビアの設計を手がける人物)から“5000リラで販売できる経済的な小型車のエンジンとシャーシの設計”を任される。ジアコーサは、独創的なアイディアを盛り込み、その才能はここで一気に開花することとなる。ジアコーサは、前車軸から後輪手前までの長さしかないラダーフレームを設計し、軽量化の為に丸い穴を開けると、それにあわせて軽量化に配慮されたボディを造りあげた。かかるコストを考慮しFRレイアウト方式を採用するが、水冷直列4気筒エンジンは前車軸より前にオーバーハングするカタチで搭載され、その後方にラジエーターを配置、燃料タンクはその後ろに置かれた。このレイアウトにより空気抵抗の少ないスラント・ノーズを実現するとともに、小型ボディでも足元に余裕のあるドライビングポジションを可能とし、広いキャビンを実現している。エンジンにサイドバルブ式を採用したのも、この搭載方法を考慮しエンジンの全高を低くする為で、軽量フレームと併せていかにも航空機技術を知る設計者の、独創的な考えが設計に活かされたものとなっている。この設計により完成した「500トポリーノ」は、全長×全幅×全高を3215×1275×1377mmのサイズに抑え、乗車定員を敢えて2名とし車両重量535kgを実現。569ccのエンジンが発揮する13馬力のパワーで、最高速度85km/hという性能と16.7km/ℓという低燃費を両立している。販売価格は8900リラで、当初の目標を大きく上回りながらも爆発的な人気を得た事で、フィアットは本格的な自動車量産メーカーへと成長し、イタリアでは大衆車の普及という社会経済的な革命がもたらされた。「500トポリーノ」は、1936年から第二次世界大戦を挟んで1955年迄、52万台が生産された。中でも販売開始となる1936年から1937年にかけての1年間で6万6千台が生産されたが、これは当時のイタリア全体の自動車生産台数の、実に85%に相当するものとなっている。1950年代に入ってからのイタリアの経済は目覚ましく発展し、1950年から1962年迄の間に国民総生産は2倍に達する奇跡的な復興を遂げた。戦後間もなくスタートした「500トポリーノ」の後継車開発は、1950年代に入ってもジアコーサの中ではなかなか結論が導き出せないでいた。中でも駆動方式では大いに悩んだ挙句、導き出した答えはRRレイアウトだった。ジアコーサは軽量コンパクトで「500トポリーノ」と同じボディサイズで、4名乗車を可能とする「600」を1955年のジュネーブショーで発表する。「600」は「500トポリーノ」と同じ2000mmのホイールベースに載るボディは、全長×全幅×全高を3215×1380×1405mmとし、ボディ/シャーシをモノコック化する事で車両重量585kgにおさえ、リア・エンドに排気量633ccの水冷4気筒エンジンを搭載している。エンジンの最高出力は19馬力とされ、最高速度100km/hの性能と17.5km/ℓの優れた燃費を実現、エンジンが後ろにある事で静粛性が向上した快適なキャビンを実現した。更に翌年には、同じシャーシを用いて6名乗車を可能としたマルチパーパス・ヴィークル「600ムルティプラ」をバリエーションモデルとして追加発表する。このモデルは前席をフロントタイヤの位置迄移動させるという、ジアコーサならではの独創的なアイディアにより3列シート・レイアウトを可能としたモデルとなる。フィアットは「600」のデビューを控えた時期に、ユーザーを対象とした調査を実施した結果、大衆は間も無くデビューする「600」より、更に小さく安価なモデルを必要としている事が明らかになり、ジアコーサ率いる設計陣は休む間も無く、次のモデルの開発に取り掛かる。モノコック製2ドア・ボディで、RRレイアウト、足回りは「600」から受け継ぐカタチとなるが、エンジンは軽量でシンプルなモノが求められた。ボディはジアコーサ自身が手掛け、エンジン設計は若いトラッツァ技師に委ねられた。こうして誕生したのが1957年春のジュネーブショーで発表された「ヌオーバ500」となる。「ヌオーバ」とはイタリア語で「新しい」を意味するワードで、それまで販売されていた「500トポリーノ」に対して「新たな500」というところから「ヌオーバ500」と命名されている。︎ジアコーサによるボディデザインが与えられた「ヌオーバ500」は、柔らかな丸味を帯びたフォルムを特徴とし、軽量化と低コストを狙って比較的薄い鋼板を用い、そこから出来るだけ高い剛性を出せる様に整形されている。軽量設計のモノコックボディとされたことから、ボディルーフに穴を開けキャンバストップを設ける事で、発生するエンジンの振動と騒音を逃すアイディアが採用されミニマムな快適性が確保されている。また「ヌオーバ500」のボディは「600」より245mmも短く3mに満たない寸法でホイールベース1840mmとしながらも、4名乗車を可能とし、RRレイアウトの美点を活かしきった設計とされている。搭載されるシンプルで軽量なエンジンは、フィアット初の空冷でシリンダー数は2気筒が採用されている。車両重量は470kgに抑えられ、排気量479ccから13馬力を発生させる空冷2気筒エンジンにより、最高速度85km/hの性能と、22.2km/ℓという驚異の低燃費を実現。「600」より10万リラ以上安価な46万5千リラで販売された。1946年にフィアットの社長に就任したヴィットリオ・ヴァレッタは、大衆のスクーターの需要の高まりに注目し、これが潜在的な「ヌオーバ500」の新たな顧客とみなし大きな期待をもって、自身の通勤にも「ヌオーバ500」を使う事で、販売促進活動を推進する。しかし、販売当初売り上げはフィアットの期待とは裏腹に伸びず、1957年秋のトリノショーでは、クロームメッキのヘッドランプ・リム、サイド・モール、ハブ・キャップや布張りシートが与えられ、エンジンパワーを15馬力に高めた「500スタンダード」が追加モデルとして発表される。僅か25000リラを追加する事で購入出来るこのグレードが起爆剤となり、それまでクルマに縁の無かった人々がこぞって「ヌオーバ500」を買い求めイタリア国内は、このクルマで埋め尽くされた。翌年、高性能モデル「500スポルト」が追加されると499.5ccにエンジン排気量が拡大される。21.5馬力を発揮するこのエンジンを得た事で、最高速度は105km/hまで向上した。1960年には、この拡大されたエンジンを搭載する「500D」が発表されるが、最高出力は17.5馬力とされた。またラインナップにステーションワゴン・ボディの「ジャルディニエラ」を加え、このモデルではリアのエンジンを横倒しに搭載し、荷室スペースを確保するというジアコーサのアイディアが採用されていた。1965年になると、エンジンパワーは18馬力とされ、駆動系の強化が施された「500F」が発表される。エクステリアでの大きな変化はドアのヒンジが前方に移動した事。その3年後の1968年に追加されたグレードが、今回入荷した「500L」となっている。︎「500F」と併売された「500L」は、その装備から上級モデルに位置付けられ、車名の「L」は「Lusso=名声、高貴さ」を意味するイタリア語で、発表当初のジアコーサの設計理念とは離れてしまうモデルでもある。エクステリアの特徴は、フロントとリアの「FIAT」のエンブレムが新しいデザインに変更され、前後バンパーにはバンパーガードが追加されている。また前後のウィンドウの縁取りにメッキモールが採用されている。今回入荷した車両は、バンパーガードが取り払われ、フロントのフィアットのエンブレムはアバルトのエンブレムに変更されるとともに窓のメッキモールも無く、スポーティなルックスに仕上げられている。︎「500L」に搭載されるエンジンは、空冷直列2気筒OHV2バルブとなり、ボア×ストロークが67.4mm×70mmから499.5ccの排気量を得る。7.1の圧縮比と、シングルウェーバーキャブレター26IMB4型を装備し、最高出力18馬力/4600rpmと最大トルク3.1kgm/2200rpmを発揮する。組み合わされるトランスミッションは2〜4速にシンクロをもつ4速MTとなる。今回入荷した車両には特別に5速MTが組み合わされている。足回りは先に設計された「600」と同様、フロントに横置きリーフ+アッパーアーム、リアはセミトレーリングアーム+コイルとなり、フロントの横置きリーフは、それ自体がロア・アームとスタビライザーの役目を果たすシンプルで巧妙な構造となっている。ブレーキは全輪ドラムブレーキが採用され、12インチ径×3.5J幅のスチールホイールに125-12サイズのタイヤが組み合わされる(今回入荷した車両には135/80R12サイズのタイヤが装備されている)。また、スチールホイールに付けられるメッキ製のホイールキャップは「500F」用では、やや強めのテーパーがつけられたものとなり、比べると「500L」用ではフラットなデザインが採用されている。︎インテリアは「500L」だけがプラスチック製のダッシュパネルが装備される(今回入荷した車両では、黒で塗装されている事が多いこのプラスチック製パネルとシートの間に存在する小物入れをボディと同色で仕上げられている)。また細身の2本スポークで大径の黒いリムをもつステアリングと、レトロなデザインの横長のスピードメーターも「500L」の専用装備となる。フューエルメーターが組み込まれるスピードメーターはveglia製となっている。合皮のシート表皮が採用されリクライニング可能となるフロントシートや、ラバーマットの代わりにモケット風の絨毯が用いられるフロアも、シリーズを通して「500L」のみとなっている。前席シート間にあるシフトレバーの後方にレイアウトされる2本のレバーは、右がスターター、左はチョークとなる。キャンバストップは、前側のフック一箇所でとめられ簡単に開閉が出来る。フロントボンネットを開けると燃料タンクとスペアタイヤが装備されている。︎全長×全幅×全高は2970mm×1320mm×1335mm、ホイールベースは1840mm、トレッド前1121mm、後1135mm、車両重量530kgとなる。燃料タンク容量は21ℓ、新車時価格は67万円(1971年)となっている。メーカー公表性能値は最高速度95km/hとなる。︎先にデビューした「600」と同様のRRレイアウトを採用する「500L」は、現代のクルマ達の中では極めて小さなボディサイズとなるが、存在感のある人懐っこいキャラクターは、何処に置いても癒やしのオーラを発散している様に感じられる。コンパクトなボディの大きさからみればドアの開口部は大きく、それでも背を丸めてかがみ込む様に小さなドライバーズシートに腰を下ろしてみると、フロントウィンドウもサイドウィンドウもとても近く感じられる。そのキャビンの中で細身のステアリングホイールは大きく存在を主張するが、足元はフロントホイールハウスの張り出しにより狭い中で、3つの小さなペダルがやや右側にオフセットされている。ペダルを踏み込みやすい位置にシートを合わせると、ステアリングが少し遠く感じられるイタリア車らしいドライビングポジションが強いられる。ステアリングポスト左側にあるキーを捻り、フロントシートの間に並ぶ2本のレバーの右側の方を選んで引くと、スターターが回りエンジンが始動する。空冷エンジンならではの空気を震わせる渇いたサウンドは、自動車というより小型バイクの様に遠慮なくキャビン迄届けられる。フロアから突き出したマニュアルトランスミッションのシフトレバーを1速に送り込み、慎重にクラッチをエンゲージすると、押し出される様にクルマが動き出す。のどかに速度は伸びて行くが、エンジンの回転落ちは速いので、シフトアップ時にもブリッピングを加えると、よりスムーズなギアチェンジが可能となり速度を上げて行く事が出来る。流れに乗ってしまえば、しっかりと直進安定性が確保されるが、ホイールベース、トレッドとも狭いことから、路面の微妙なうねりの影響を受ける為に注意は必要となる。乗り心地はその軽い車両重量から考えればとても良い部類となり、強いショックや路面の凹凸を上手く吸収してくれる。巡航している間も、小さなエンジンが発するサウンドは小さいものでは無いが、後方に搭載している為に耳障りではない。慣れてくるとこのエンジンサウンドと、ギアの唸りはとても心地良く感じられ、そのボディデザインと同様に不思議と何処か憎めない印象に変わってくる。スピードは低くても、常にエンジン回転を高めに保ち、クルマに乗せられているのではなく、ドライバー自身がクルマを走らせている感覚をたっぷりと感じられる。シンプルで必要最小限のクルマであるにもかかわらず、そのドライビングプレジャーは高額なスポーツモデルを超える程となる。はるか半世紀以上前に伝説的ともいえる設計者により生み出された「FIAT 500」は、優秀な工業デザインとしてその品質を認められヨーロッパで最高の栄誉とされる「コンパッソ・ド・オーロ(金のコンパス)」を受賞している。また生誕60周年目の節目を迎えた年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に於いて、永久展示品として常設コレクションに加えられ「ジャガーEタイプ」や「チシタリア202」と同様、アートとしても認定されている。何処にあっても人の気持ちを惹きつけるそのキャラクターは、日本ではお馴染みのアニメで有名だが、このボディカラーはまさにそのイメージとも重なるものと言えるのかもしれない…

















