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DB6 MkⅠ
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メーカー
ミッション
マニュアル
グレード
DB6 MkⅠ
ボディタイプ
外装色
シルバーメタリック
年式
1967 年型
走行距離
88900マイル
乗車定員
4 名
サイズ
長 457 cm 幅 170 cm 高 137 cm
エンジン形式
排気量
3995 cc
馬力
282
トルク
車検
令和6年11月
ハンドル
駆動区分
輸入区分
中古並行輸入
内装色
ブラック
燃料区分
ガソリン
幌色

アストンマーティンのゴールデンエイジは、「DB4」がデビューした1958年からの約10年間といわれている。デイビット・ブラウンの指揮のもとDB456を生産していた当時のアストンマーティンは、その血統、レースによる名声、高級GTカーとしての高いクオリティ、その上で映画「007シリーズ」での活躍を含め効果的なイメージアップにつながる要素が幾重にも重なり黄金時代を成したと考えられる。1922年創業となるアストンマーティンは、ライオネル・マーティンとロバート・バムフォードというエンジニアが「レースに勝てるクルマを自分達で造る」という事を目標としながら、社名の「アストン」は、最初にエントリーした「アストン・クリントン」というヒル・クライム開催地から引用されたものとなっている。「ル・マン」や「ボルドール」「ミッレ・ミリア」などの耐久レースを中心に活躍しながらも、資金繰りがままならず1947年に、デイビット・ブラウン企業グループに身売りすることとなってしまう。そこから新たなる社主デイビット・ブラウンの頭文字「DB」を車名としたGTカーの生産が始まり、中でもニューポートパグネルの工場から送り出されるDB456はヒストリック・アストンの代表的な存在となっている。「DB4」のデビューした翌年の1959年にアストンマーティンは、ワークス・レーシングカーの「DBR1」により念願の「ル・マン24時間耐久レース」に1-2フィニッシュでの初勝利をあげる。1位を獲得したのはアメリカ人として、初のル・マン制覇を成し遂げたキャロル・シェルビーと、英国人ロイ・サルバトーリのコンビ、2位は後にフェラーリ250TRでル・マン制覇を成し遂げ、モータージャーナリストとしても知られ、カーグラフィック誌にも寄稿していたポール・フレールと、F1でモナコを制した事もあるモーリス・トランティニアンのコンビとなっている。この勝利を頂点にアストンマーティンは、この年のワールド・スポーツカーチャンピオンシップのコンストラクターズチャンピオンを獲得している。ゴールデンエイジの入り口となる「DB4」は、それ以前の「DB3」とは大きく異なり、新世代ともよべるボディデザインが取り入れられ「セブン・バーチカル・バー」とよばれる新たなフロントグリルをもつ。ボディは、イタリアのカロッツェリア・トゥーリングが特許をもつ、スチール製プラットフォームの上に軽量アルミニウム製ボディを被せる「スーパーレッジェーラ方式」で造られている。この「DB4」開発プロジェクトは、1950年代後半にジェネラルマネージャーの座に着いていたジョン・ワイアによるもの。「DB3」や「DBR1」などによるワークス・レース活動で指揮を執り、国際レースにおいてアストンマーティンに勝利をもたらしたジョン・ワイアは、それまで各地に置かれたファクトリーをニューポートパグネルに集結させた。また、新たなボディワークをトゥーリングに依頼したのも、ワイアを中心とする首脳陣だったといわれている。新設計となるエンジンは、オールアルミ製のDOHC3.7・ストレート6となり、元オースティンのエンジニアであったタデック・マレック設計によるもの。以降、排気量をアップしながら「DB5」「DB6」へと搭載される事となる。このエンジンは、耐久性を重視しカムシャフトの駆動をデュアル・チェーンとし、7メインベアリングが採用された他、窒化処理されたクランクシャフトやジャーナルが採用されている。以前からヨーロッパでは、レースこそが最も実験に適した場所という事を実践し、1956年ベンチテストが開始され、1957年初頭からワークス「DBR2」に搭載され、実績を積んだエンジンとなっている。足回りは当時チーフ・エンジニアの地位に居たハロルド・ビーチが担当し、これもレースからのフィードバックを受けフロント・ダブルウィッシュボーン/コイル、リアはリジットながらも平行トレーリング・リンク+パラレル・リンク/コイルという凝ったものとなっている。この時、アストンマーティン初のラック&ピニオン式ステアリングや、4輪ディスクブレーキも併せて採用された。「DB4」から「DB5」へ進化したのは19637月、キープ・コンセプトのままのモデルチェンジとなりボディ構造は継承され、インテリアのインパネを含め「DB4」の意匠にならったデザインが採用されている。オールアルミ製のDOHC・ストレート6エンジンは、ボアを4mm拡大した事で4とされ、282馬力を発揮し、初期モデルではオプション扱いだったクロスレシオの5速ミッションは、後に標準装備とされた。何よりもこの「DB5」の人気を不動のものとしたのは、映画「007シリーズ」での効果的なシーンの数々だろう。160kg重くなったボディでも0400m加速15秒台前半、0100km/h加速7秒強で走れる実力を持ち、機能的で豪華な上、高速安定性に優れた高級GTカーとしての高い資質を併せ持ち、誰もがもつ「アストンマーティン」のイメージを具現化し、決定づけたモデルと言えるだろう。「DB4」「DB5」は、紛れもなく美しいグランドツアラーで高いパフォーマンスを誇っていたが、後席のレッグルームの狭さに不満を持つユーザーは確実に存在した。そこで1965年に「DB5」から進化した「DB6」では、ホイールベースを95mm延長し2585mmとし、ルーフラインを高めリア・スペースの拡充を図りながら、パワーステアリング、エアコンディショナー、オートマチック・トランスミッションの装備を可能としている。スポーツカーとしてのパフォーマンスをキープした上で、グランツーリスモとしての快適性能を充実させたモデルとなっている。「DB5」と良く似たフロントデザインとなるが「DB6」では分割されたフロントバンパーで明確な違いを見せている。「DB4」から継承されるカロッツェリア・トゥーリングのスーパーレッジェーラ工法をベースとしながらも「DB6」では鋼板プラットフォームが強化され、リアに+2のシートを確保しながらも車重は抑えられている。特徴的なリアのデザインは、アストンマーティン・ワークスレーシングカーのDP212/214/215と同じコーダトロンカスタイルとされ、高速走行時の高いスタビリティを確保し、ロードテストを行った当時のメディアは「あらゆる点で先行モデルを凌駕している」(Motor)、「最も完成度の高いアストンマーティン」(Autocar)と記した。「DB6」に搭載されるエンジンは、WOベントレーのもとで設計された鋳鉄ブロックから「DB4」登場に伴い、タデック・マレックにより新設計されたオールアルミ製・直列6気筒DOHCとなる。「DB5」に搭載される際にボアを4mm拡大されてボア・ストローク96mm×92mmから3995ccの排気量をもっている。8.75の圧縮比とSU HD8キャブレター3基を装備し282馬力/5500rpm39.7kgm/3850rpmのトルクを発揮する。組み合わされるトランスミッションは、ZF5MTとなりオプションでボルグワーナー製3ATが選択出来た。また、リア・ディファレンシャルにはパワーロック製のLSDを選択出来るようになった。足回りは、フロントは、ダブルウィッシュボーン式でテレスコピック・ダンパー+コイル+スタビライザー、リアは、リジット式パラレルトレーリングアーム+ワッツリンク+調整機構付レバーアーム式ダンパーとなっている。基本的には「DB5」と同じ形式ながら、運転席からリア・サスを調節できるアームストロング社製「セレクタライド・ダンパー」が標準で装備されている。ブレーキは、デュアルサーキット・ツインサーボのガーリング製4輪ディスクブレーキシステムが備わり、フロントに292mm径・リア274mm径のディスクと、前後それぞれ4ポッドのキャリパーが組み合わされる。ホイールはボラーニ製15インチクローム・ワイヤーホイールに6.70-15サイズのタイヤが組み合わされている。インテリアは、ウッドリムをもつ16インチの3スポークステアリングホイールのむこうに、フロントグリルの形をしたメータークラスターが備わり、大小7つのメーターが収まる。このレイアウトは「DB5」と等しく、大型の300km/h(或は180M.P.H)までのスピードメーターを左に5500rpmからレッドゾーンとなるタコメーターを右に配置し、その間に小径のLucas製アンメーターが置かれる。このアンメーター以外、ダッシュボード中央のアナログ時計を含めメーター類は全てSMITH製となっている。中央のアナログ時計の下には、パワーウィンドウのスイッチがあり、その下にクロームのSUキャブレターのコールドスタート用調整レバーが配置される。分厚くタップリとしたシートはコノリーレザーで覆われ、延長されたホイールベースによりリア・シートのレッグ・スペースには若干の余裕が生まれている。全長×全幅×全高は4620mm×1680mm×1355mm、ホイールベースは2585mm、トレッドは前後とも1385mm。車両重量は1510kg、燃料タンク容量は86となっている。今回入荷した車両は「DB6 Mk-1」となるためプレーンなフェンダーアーチ形状をもち、先代の「DB5」との近似性をもつモデルとなる。1969年に発表された「DB6 Mk-2」ではフレアしたホイールアーチが特徴となり、当時発表されたV8エンジン搭載の「DBS」とのパーツ共有化がはかられている。「DB6 Mk-1」の生産台数は、オープンモデルの「ヴォランテ」の140台とFLMパネルクラフトによる少数の「シューティングブレーク」を含んで1467台。「DB6 Mk-2」は「ヴォランテ」の38台を含む、278台となっている。メーカー公表性能値は0100km/h加速8.4秒、最高速度225km/hとなっている。「DB6」のシートにおさまりメインスイッチを入れチョークレバーを調整し、小さなイグニッションキーを差し込む。チョークを引いてスターターを回せばエンジンは始動し、軽やかにアイドリングを始める。クラッチはそれほど重く無く、ステアリングは滑らかに動くが、ギアボックスは、オイルが暖まるまで慎重な扱いが必要となっている。ウォームアップさえ済めば街中をスムーズに走り抜け、高速道路では快適に距離を伸ばす事が可能なグランドツーリングカーとなる。ホイールベースが長くなったぶん「DB6」の挙動は比較的マイルドで、全体的に大人っぽくなっている。それでも踏めば応えるパワーの盛り上がりと速さは健在なのだがストイックにドライブするより、クルーザー的に走らせる方が似つかわしく、骨っぽい「DB5」に対してゴージャスで伊達男的なのが「DB6」と言えるかもしれない。官能的なドライブフィールと実用性を併せもつ「DB6」は著名人にも愛用者が多く、ビートルズのポール・マッカートニーは1966年に、それまでの「DB5」からグリーンのボディカラーをもつ「DB6」に乗り換え、当時のライバル、ザ・ローリングストーンズのミック・ジャガーはミッドナイト・ブルーの「DB6」を愛用していた。またエリザベス女王はチャールズ皇太子(現在は国王)21歳の誕生日プレゼントとして「DB6ヴォランテ」を贈ったといわれている。「DB6」には、手作業で造り込まれた品質と技術を感じさせる特別感に溢れている。ただ美しいデザインのボディを持つというだけでは無く、快適なグランツーリスモとしての機能と実用性は、現代に於いても通用するものとなる。クルマに触れるたびに伝わる、アストンマーティンのレースとの深い関わりをもつ血統と、クラフトマンシップはドライバーを魅了し続け、古き良き時代と現代を繋ぐドライビングプレジャーを長きにわたって堪能させてくれるものとなっている。