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万円
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メーカー
ミッション
オートマ
グレード
日本未導入モデル
ボディタイプ
外装色
レッド
年式
1988 年型
走行距離
19300km
乗車定員
2 名
サイズ
長 453 cm 幅 186 cm 高 132 cm
エンジン形式
排気量
4080 cc
馬力
135
トルク
27.6
車検
ハンドル
駆動区分
前輪駆動
輸入区分
並行輸入
内装色
ボルドーレザー
燃料区分
ガソリン
幌色

1902822日、創業者ヘンリー・マーティン・リーランドにより資本金30万ドルで設立されたキャデラック・カンパニーは、9月に新型車の設計を始めると、翌19033月には最初のモデルで単気筒エンジン搭載の「モデルA」を完成させた。「キャデラック」の社名は、デトロイトの開拓に尽力したフランス人貴族で探検家のアントワーヌ・デ・ラ・モース・キャデラックに因んだもので、そのエンブレムもキャデラック家の紋章を引用したものとなっている。1904年には発展型の「モデルB」を、翌年の1905年には「モデルC」を製造し、1908年迄に「キャデラック」は16126台を世に送り出した。1909年になるとGMの創設者ウィリアム・C・デュラントの求めによりGMグループに入り、以降GMの最高レンジを担うブランドとして存在するようになった。そのブランドイメージを決定付けたのは1914年の、量産車初となるV8気筒エンジンの生産と実用化だろう。1902年の創業時から創業者リーランドにより試作研究を繰り返し、様々なバルブ型式やその他あらゆる可能性について「キャデラック」はテストを重ねてきた。それは期せずしてヘンリー・フォードがV8気筒エンジンの構想を抱き始めたのと時を同じくしていたが、フォードが量産化を実現するのは1933年の「モデルB」からであった。滑らかに高速で回るV8気筒エンジンにより、高級車としての名声を決定的なものとした「キャデラック」は、その後もV16気筒、V12気筒エンジンを開発。1930年代には、そのエンジンを搭載した超豪華なモデルを発表し、ボリュームたっぷりのパワフルなイメージと技術力の高さを確実なものとした。120年以上の長い歴史をもち、GM傘下にありながら今もなお世界有数の高級車ブランドとして君臨し、アメリカを代表するメーカーである「キャデラック」は、伝統的にクーペやコンバーチブル型式の2ドアモデルをラインナップしてきた。1970年代からの人気を維持する「メルセデスベンツSL(R107)」や、「ジャガーXJ-S」などに対抗しうるモデルとして新たに開発され19869月に発表されたモデルが「キャデラック・アランテ」となる。車名の「アランテ」とは、フランス語で「疾走する」「躍動する」という意味をもつといわれている。当時「キャデラック」には、ダウンサイジングされたとはいえ「エルドラド」という高級パーソナルクーペがラインナップされていた。新たなモデル「アランテ」のポジショニングは更にその上級となる、超高級車として開発が進められた。それを最もわかりやすく表現されたもののひとつがボディ・デザインで、イタリアを代表するカロッツェリア・ピニンファリーナが担当。1930年にジョバンニ・バッティスタ・ファリーナにより創業を開始したカロッツェリア・ピニンファリーナは、コンセプトモデルやデザインスタディ、量産モデルの如何を問わず、携わった作品に宿る時代を超越した優美さが特徴とされている。創業主ジョバンニ・バッティスタ・ファリーナは、幼少期の愛称「ピニン」と苗字を組み合わせた会社名を法的にも正式な苗字にしようと国に申請し、イタリア政府が承認した事により1961年に「ピニンファリーナ家」が誕生する。「キャデラック・アランテ」の開発においては、創業主の孫にあたり、のちに3世代目の当主となるパオロ・ピニンファリーナが英語が堪能な事を見込まれ、計画段階からその品質管理担当を務めたモデルとなっている。コンパクトで豪華なグランドツアラーを望んだ親会社のGMは、はじめはボディデザインのみを依頼する方針だったが、後に車体生産に関してもピニンファリーナに助力を求めた。それに応えるかたちでピニンファリーナは、イタリアはトリノのサンジョルジョ・カナヴェーゼ工場を新設し「アランテ」のボディをパワーユニットの装着を残すところまでに仕上げ、トリノのカセル空港から遥か6000km彼方のデトロイト迄、アリタリア航空の専用ジャンボ機で空輸。しかる後にGMのハムトラムク工場でエンジンやサスペンションが組み付けられるという工程を経て生産された。この世界一長いアッセンブリーラインをもって完成する「キャデラック・アランテ」のボディデザインは、多くのフェラーリ量産モデルを手がけてきたピニンファリーナが施した数々の趣向が凝らされている。やや長めに見える前後のオーバーハングと小さなキャビンは絶妙のバランスで形作られ、シンプルでエレガントなピニンファリーナのスタンダードといえる仕上がりを見せている。ボディ同色に塗装されたスマートな衝撃吸収バンパーや、すっきりとおさまる横長のフロントライト、対照的に白いラインを走らせたゴージャスなテールランプ、トランクリッドに埋め込まれた丸型のハイマウント・ストップランプは、一台の中でヨーロピアンとアメリカンの見事な融合を見せる。エンジンフード、トランクリッドとともにアルミ製となるハードトップを装備すれば絶妙なプロポーションが際立ち、ボディを一回りする細いストライプの中に埋め込まれた前後リフレクターなどを含め、時代の経過をまるで感じさせないデザインを成している。デザインのみではなく、オープンモデルとして空気の流れにも配慮されたボディのCd値は、0.34と充分に低く抑えられている。また、本革や豪華なカーペットで覆われたインテリアは「アランテ」の高品質を示す特徴となり、この分野におけるイタリア人の才能を充分に表現されたものとなっている。唯一の弱点を挙げるとすれば、手の込んだプロセスを経て完成させる事により「エルドラド」の約2倍にもなってしまった車両価格かもしれない。この価格が足枷となり「アランテ」の販売は低迷、その華々しい存在感を活かしきれなかった。GMラインナップの頂点に位置付けられる、ウルトラ・ラグジュアリーカーの「アランテ」は、アメリカの専門誌に掲載された当時の広告にも「唯一、必要なオプションは、自動車電話だけ」と記される程、豊富なアクセサリーを標準装備していた。「キャデラック・アランテ」に搭載されるエンジンは、HT(HighTechnology)4100とよばれる水冷V8気筒OHV16バルブで、ボア×ストローク・88.0mm×84.0mmから4087ccの排気量を得る。GM製マルチポート式電子制御燃料噴射装置と8.5の圧縮比から最高出力170馬力/4300rpmと最大トルク31.7kgm/3200rpmを発揮。駆動方式はフロントドライブとなり、ノーズに横向きに搭載されているエンジンは、明らかにデザイナーの手が入っている事を窺わせる形状をもち、整然とタワーバーの備わるエンジンルームにおさめられている。同世代の「セヴィル」や「エルドラド」にも採用にされるこのエンジンはアルミ製ブロックと鋳鉄製ヘッドで構成され、他のモデルが130馬力に過ぎないところを「アランテ」に搭載するにあたり、カムプロファイル変更やローラーリフターの採用、マルチポート式燃料噴射装置により170馬力にチューニングされている。組み合わされるトランスミッションはプロトタイプの段階ではゲトラグ製のマニュアルトランスミッションがテストされたものの、市販モデルではMTの設定は無く、全て新型のF7型とよばれるロックアップ付き4段オートマチックとなっている。搭載されるエンジンは、1989年のマイナーチェンジの際には4.5200馬力のものに換装され、1993年に再びマイナーチェンジを受けると4.6V8DOHC32バルブ・290馬力のオールアルミ製の「ノーススターエンジン」が搭載された。足回りは「エルドラド」に採用されている型式がベースとされ、フロントがマクファーソン・ストラット+コイル+スタビライザー、リアはストラット+横置きFRP製のモノリーフ+スタビライザーによる4輪独立サスペンションを備える。ブレーキはフロントに260mm×25mm厚サイズのベンチレーテッド・ディスク、リアに254mm×12.5mm厚サイズのソリッド・ディスクを配した、4輪ディスクが用いられボッシュ製のABS(タイプ)を標準装備する。ホイールは鍛造アルミ製で7J×15インチサイズが採用され、タイヤは「キャデラック・アランテ」の為に開発された225/60VR15サイズの「グッドイヤー・イーグルVL」が組み合わされている。インテリアは、豪華なカーペットが敷き詰められ、上質な皮革に覆われた超高級車に相応しいラグジュアリーな空間となる。ダッシュボードのデザインは直線を活かしたアメリカン・テイストで造形され、未来感溢れるインパネは、イグニッション・キーを捻るとスピードメーター、タコメーターなどが映し出される仕組みとなっている。驚くほど鮮明に表示されるデジタル・メーターパネルは日本製で、他にも40%の部品はアメリカ以外から調達されたものとなる。ドライバー側に傾けられたセンターコンソールのスイッチ類は、同型の平面的なプッシュボタンが採用され、デザインが優先された形状となっている。やや大径のステアリングホイールは、メーターパネルを視認しやすいデザインとなり、下方2スポークタイプが採用されている。極めて多彩な電動調節機構を備えた上質な革張りのシートは、レカロ製でしっかりと身体をホールドするとともに、良好な座り心地が得られる。シート後方には手動式のソフト・トップがすっきりと収まる構造となり、その下にはモケット張りのトランクとも連結可能なラゲッジスペースが備わる。ルーフを開けてオープン走行時に於いても風の巻き込みも少なく、早くから風洞をもつピニンファリーナならではのノウハウと配慮が感じられる。全長×全幅×全高は4537mm×1864mm×1325mm、ホイールベース2525mm、トレッドは前後ともに1536mm、車両重量は1585kg。最小回転半径は5.5mで、燃料タンク容量は83となっている。1986年〜1993年の間、製造された「キャデラック・アランテ」の生産台数は21430台で、日本での正規輸入販売が始まったのは4.5エンジンが搭載されたモデルからとなり、1180万円(1989)で販売されていた。メーカー公表性能値は060mph(=96km/h)加速10.0秒、最高速度125mph(=201km/h)となる。2シーターでコンパクトなキャビンをもつ「キャデラック・アランテ」は、短めな全長の割にには、幅広で、低めなディメンジョンをもつボディの為、現代の車列の中にあっても、古さは感じられない。ピニンファリーナによるボディデザインはいつも、時の経過を忘れさせる程、クリーンに仕上げられアメリカ車という印象とは少し異なる存在感を見せる。ドアを開いてシートに腰を下ろし、ドライビングポジションを調整しようと電動シートのスイッチに視線を動かすと同型の調整スイッチが6個、シート脇に1列に並んでいる。ブラインドタッチには、少し慣れが必要かもしれない。キイを捻りイグニッションをオンにすると真っ暗だった正面の液晶パネルが点灯し、鮮やかにデジタルメーターが映し出され、ドライバーを歓迎してくれる。エンジンをスタートし、ギアセレクターレバーで「D」をセレクトすると、足踏み式のサイドブレーキは自動で解除され、アクセルを踏み込む事でクルマは滑らかに動き出す。カタログ値から想像するよりパワフルに感じられる走り出しは、排気量の大きめなエンジンによる豊かな低回転域のトルクと、反応の鋭いATによるもの。深いスロットル開度を保つと1速、2速では4700rpmからのイエローゾーン手前まで伸びを見せ、およそ1.6トンのボディをチカラ強く引っ張りあげてくれる。この勢いでワインディングロードに持ち込めば、2速ホールドのままエレガントなボディに似合わないペースで走る事が可能となる。予想以上のハンドリングを見せる「アランテ」だが、ロック・トゥ・ロック3回転弱とクイックなステアリングは、アメリカ車らしく軽めに仕立てられ路面感覚の伝達は完璧とまでは言えない。それでもアンダーステアは過大とはならず「コルベット」程とはいかないまでもロールは小さく抑えられ、狙ったラインを辿ってコーナーの連続を楽しめる。横置きエンジンのフロントドライブでありながら、スロットルのオン/オフによる姿勢変化も過大とはならず自然に感じられる。オープンボディでもスカットル・シェイクは抑えられ、当時のヨーロッパ産GTの様に剛性感溢れる手ごたえは持ち合わせていないが、充分にワインディングロードを味わえる性能を備えている。またオープン走行時の風の巻き込みは最小限に感じられピニンファリーナの配慮がうかがえる。比較的簡単に作動してしまうABSをもつブレーキは、非常にしっかりとしたペダル・フィールを示し、ある種のヨーロッパ車を凌ぐ充分に信頼にたるものとなっている。滑らかなシルエットを演出するハードトップは、ボディに4箇所設けられたキャッチで留められ、しっかりとした造りで見た目より重い為、「メルセデスSL」同様、大人一人では脱着は不可能となる。本来のラグジュアリー・クーペとしての「アランテ」の性能は、高速巡航では緩やかなピッチングが僅かに感じられ、抑えの効いた柔らかい乗り心地となる。スピードを問わず極めて快適なもので長距離移動を安楽にこなす事が出来る。ワインディングロードでは4km/台まで落ち込む燃費も、高速巡航では1213km/をマークする程の伸びを見せ、83のタンク容量を考慮すればかなりの距離をこなす事が可能となっている。GMが、その威信を賭けて送り出した「キャデラック・アランテ」は、それまでのアメリカ産の高級パーソナルカーとは異なり、ただスタイリッシュで安楽なだけに留まらず、走る為の基本性能もしっかりと備えたモデルとなっている。GMがターゲットとした「メルセデスベンツSL」のクオリティには若干及ばない部分があるにせよ、稀少な生産台数と生産プロセスを考えれば、その存在価値は今となってはとても貴重なモデルであると考えられる。